栃瓦連・青年部ブログ

2012年04月17日

特別講習会3


重要文化財指定。本瓦葺、切妻造り、木造朱塗り八脚門に、増長天(左)・持国天(右)をまつり、「二天門」の扁額は最後の太政大臣、三条実美(さんじょうさねとみ 1837〜91)筆。
 元和4年(1618)浅草寺境内に造営された「東照宮」の「隋身門(ずいじんもん)」として建立された。豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)・櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神をまつり、俗に「矢大神門(やだいじんもん)」ともいわれた。
 寛永19年(1642)東照宮は焼失し、その後の再建は許されずに「石橋(しゃっきょう)」(影向堂前)とこの門だけが残った。
 明治時代の神仏分離の際、二神を廃し、鎌倉鶴岡八幡宮の経蔵にあった二天を奉安して「二天門」と改称したが、両像は戦時中、修理先で焼失。現在の二天像は上野・寛永寺の巌有院(第4代将軍徳川家綱)霊廟(れいびょう)より拝領したもの。現在の門は、その形式と技法より、慶安2年(1649)頃に建立されたといわれる。創建以来、補修・改築が加えられていたが、平成22年(2010)の落慶にあたって創建当初の形式にもどされた。
総会 新年会 グランプリ練習 足工大 123.jpg

本葺風チタン屋根材で一時話題をさらった本堂総会 新年会 グランプリ練習 足工大 129.jpg総会 新年会 グランプリ練習 足工大 130.jpg
五重塔は瓦葺き
総会 新年会 グランプリ練習 足工大 128.jpg

総会 新年会 グランプリ練習 足工大 132.jpg総会 新年会 グランプリ練習 足工大 135.jpg
一坪ほどのお堂 本瓦葺

総会 新年会 グランプリ練習 足工大 136.jpg
お神輿くらいの大きさのお堂 小さくても細かなとこまでしっかり造りこまれてます

総会 新年会 グランプリ練習 足工大 138.jpg

NPO法人 日本瓦葺技能継承甍会 の皆様 この度はご一緒させていただきありがとうございました
大変勉強になりました。栃瓦連青年部も瓦の未来の為に日々精進してまいります
 

 
posted by 栃瓦連青年部 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動報告

2012年04月04日

特別講習会2

特別講習会 二日目
皇居東御苑と浅草 浅草寺見学会

あいにくの天気でしたが初めて皇居に訪れることができてとてもいい経験ができました

 皇居は、江戸時代に徳川歴代将軍が居城としていた所である。明治維新の後、明治天皇は、千数十年にわたって天皇がお住まいになっていた京都からお移りになった。以来ここに天皇がお住まいになり、宮殿では諸行事が行われてきた。昭和20年(1945年)に焼失した明治宮殿に代わり、昭和43年(1968年)に現在の宮殿が完成した。
 皇居の面積は約115万平方メートルで、濠で囲まれており、周囲に8つの門がある。

富士見櫓 江戸城の遺構としては最も古いものに属する三重櫓で、万治2年(1659年)の再建である。石垣の高さが約14・5メートル、櫓の高さは約15・5メートルである。
総会 新年会 グランプリ練習 足工大 104.jpg
宮内庁庁舎 昭和10年(1935年)に建築された建物で、戦後、昭和27年(1952年)から昭和44年(1969年)3月までの間、三階を仮宮殿として使用していた。
総会 新年会 グランプリ練習 足工大 107.jpg
宮殿東庭 新年及び天皇誕生日の一般参賀は、この広場で行われる。長和殿に面し、中央バルコニーで両陛下始め皇族方が祝賀をお受けになり、天皇陛下のお言葉がある。
総会 新年会 グランプリ練習 足工大 108.jpg
正門鉄橋(二重橋)と伏見櫓 通称「二重橋」と呼ばれ、国民から親しまれている正門鉄橋と三大将軍家光の頃、京都・伏見城から移築されたと伝えられている伏見櫓。
総会 新年会 グランプリ練習 足工大 115.jpg

東京の真ん中でさぞ やかましいのではと思っておりましたが 皇居の中は大変静かに感じられました
建物やお庭の植木など大切に扱われているなと思いました 勉強になりました 
posted by 栃瓦連青年部 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動報告

 
Copyright © 2007 Tochigikenkawarakouzigyoukumiairengoukai All Rights Reserved.