重要文化財指定。本瓦葺、切妻造り、木造朱塗り八脚門に、増長天(左)・持国天(右)をまつり、「二天門」の扁額は最後の太政大臣、三条実美(さんじょうさねとみ 1837〜91)筆。
元和4年(1618)浅草寺境内に造営された「東照宮」の「隋身門(ずいじんもん)」として建立された。豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)・櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神をまつり、俗に「矢大神門(やだいじんもん)」ともいわれた。
寛永19年(1642)東照宮は焼失し、その後の再建は許されずに「石橋(しゃっきょう)」(影向堂前)とこの門だけが残った。
明治時代の神仏分離の際、二神を廃し、鎌倉鶴岡八幡宮の経蔵にあった二天を奉安して「二天門」と改称したが、両像は戦時中、修理先で焼失。現在の二天像は上野・寛永寺の巌有院(第4代将軍徳川家綱)霊廟(れいびょう)より拝領したもの。現在の門は、その形式と技法より、慶安2年(1649)頃に建立されたといわれる。創建以来、補修・改築が加えられていたが、平成22年(2010)の落慶にあたって創建当初の形式にもどされた。

本葺風チタン屋根材で一時話題をさらった本堂


五重塔は瓦葺き



一坪ほどのお堂 本瓦葺

お神輿くらいの大きさのお堂 小さくても細かなとこまでしっかり造りこまれてます

NPO法人 日本瓦葺技能継承甍会 の皆様 この度はご一緒させていただきありがとうございました
大変勉強になりました。栃瓦連青年部も瓦の未来の為に日々精進してまいります